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時々徒然

脳を使う

俺にはあんまり合わないんだけど、発想力を鍛えるトレーニングって言うのがあるんだ。

例えば、なんか良い感じの歌作りてーと思ったら、「良い感じ」って、メモに書くじゃん。で、どのように「良い感じ」なのかを、別の紙に書くのな。

「光」「風」「祝福」とか。で、例としてその「光」から連想する言葉を、また別のメモ紙に書くのな。「キラキラ」「眩しい」「明日が見えない(笑)」とか。

まぁ、「明日が見えない」はギャグだとして、次に「キラキラ」だったら、どのように「キラキラ」なのかを書いて行くんだ。

「木漏れ日」とか「手に受ける」とか「戯れる」とか。此処まで真面目に書けたら、相当なポエマーだ。

で、まだ続くぞ。「木漏れ日」「手に受ける」「戯れる」から、どのような情景を派生させるか。

「手に受ける木漏れ日と戯れる午後に風の吹く場所で透明な祝福に出会った」とか。

ちょっと加筆しながら、言葉を並べただけだが、これでもポエム一文は出来たわけだ。

これを繰り返しながら、どんどん文章を続けていくと言う作詞方法である。「ブレインストーミング」という発想練習法の応用なんだが。

これが、俺にはちょっと合わないんだ。今現在、一文考えただけで頭疲れてるもん。しかし、まだ「無から何か作る」と言うことに慣れていない時は、この発想方法はとても有効だと思われる。

後、語彙だな。ボキャブラリー。これ大切。何かを表現したいと思っても、その表現を的確に「書き表せる言葉」を知らんと、作詩世界は広がらないのである。

音楽が好きで、常に「先人の作った作詞の世界」にいると、「この表現使ってみたい」って言うのの…よく言えばオマージュを見かけるんだが、

一時期、「まにまに」という言葉が流行っていたことがある。漢字で書くと、「随に」。

「成り行きに任せる」的な意味なんだけど、俺はこの言葉を聞くたびに、「まにまにしてる」と言っていた。意味が分かっていても、どうしても「まにまに」と言う擬音にしか聞こえなかったりした。

そんなわけで、作者が熱を込めて表現しても、聞き手にはギャグに聞こえてしまう言葉もあるので、作り手はその部分を覚悟しましょう。

こう言うトレーニングをしなくても、自然とメロディーと歌詞が頭の中で作れる人もいるけど、それは天才と言うのだ。

誰しもが天才になれるわけじゃない。一般人は、努力して能力を勝ち取ることが大切。

さあ、生き急ぐが良い。

まにまにしてると時間が無くなるぞ。「諦める」までの時間が。