疲れ切ってしまった
気合いが入った状態で、1週間くらい過ごしたんです。だけど、気合いの方向が今までと違って、スマホを見たりネットを見たりして、「外」の情報を仕入れている状態だったと言うか。
スマホやネットの情報を「外の情報」として取り入れていて、それに飽きてしまったのが一点。
そして、実際の「外出して得る風景とかの視覚情報」に、あんまり気が向いて行かなかったのも一点。
視覚情報ってのは、この季節にこの花が咲くから、花が日光で焼けてしまう前にどのように撮影しておくかとか、この季節は景色の彩度が上がるからこんな風な写真が撮れるはずだ…って言う事ですね。
そう言う、「新しい外の情報がウェブ限定」って言うのが1週間くらい続いて、「勉強には成るけどすごく辛い」って言う状態だったんです。
おまけに、夏になって冷房をいれるようになり、体が冷えることによる疲労って言うのが蓄積して、減量を始めたのに体を動かさない日々も続いて、身体的にもストレスがあったんです。
仕事が続く事が苦痛になって行って、お昼ご飯が美味しくなくなって、何が楽しくてこの人生を生きているんだろうって言う事をぼんやり考えるようになったんですよ。
そのように「常に余裕のない生活」って言うのを送っていた事もあり、ある日ついに「もう嫌だ!」ってなったんです。
前兆としては、先週月曜日に席替えをして、それから「なんか疲れる」って思うようになって、水曜日に「この席にいると鬱になる」って思って申し出たんです。
席替えの席替えをしたら、その場にいるだけで起こっていた苦痛が消えたので、原因は、その席に居るとエアコンの直風を前方向と後ろ方向から受けるからだろうって言うのが分かりました。
問題の席に、何の異変もなく座っていることはほぼ不可能です。あの席で1年耐えていた同僚は凄いと思います。
木曜日には、その「鬱になる席」は誰も座らない事にしたんですけど、体が冷えるって言う事で人生に望みを見出せなくなるって言うのは本当にあるんだなと思いました。
その余裕のない生活の延長で、小説が書けなくなるって言う状態になったんですけど、小説そのものを書くって言う事は出来ると思うんです。
だけど、それにかかる時間とか、伏線や登場人物の外面内面の描写とか、そう言うのを考えるだけで疲れてしまった。
木曜日くらいに、頭を使う短編小説を書いた影響もあると思うんですけど、頭を使うと言っても推理小説を書いたわけではないのです。
人間と言うものの理性的な暗黒面みたいなものを細かく描写してて、書いた本人も読むだけで頭が重くなる話を書いちゃったんですね。ジャンルは何かって言ったら、親の子殺しの話なんです。
昔からよくあるタイプの親の子殺しと子の親殺しの話で、結末は色々想像できる終わり方なんですけど、そこに至るまでの経過が重くて、どす暗いんです。
あの話は、子供に「人権」と言うものが無くて、親と言う所有者が居なくなったら子供が殺されてしまう世界の話なんですよ。
だけど、それを知らないからこそ子供は親を殺そうとして、親は「理想の子供」じゃなくなった子供に恐れを抱いて処分してしまうと言う、救いのない物語なんですね。
そんなもんを書いたのも、疲れ切ってしまった理由かも知れない。