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時々徒然

ネタが、無いぜ!

なんのネタかって言うと、歌詞のネタです。歌詞のネタがマンネリ化してて、なんとなく歌詞を書きたくなかった期間があったんですよ。

その時、短歌って言うものがあると、季語無しで、5、7、5、7、7の文字列で、短い文章を書くって言うので、「これならとっつきやすいかな」って思ったけど、なんか書けない。

短歌の存在を教えてくれた人が、「恋の短歌」って言うので賞金付きのコンテスト募集が行なわれていると言っていたので、「恋」って言うジャンルで歌詞を書いてみようかと。

でもですね。俺の中の「恋」って言うのは、対象が人間じゃないんですよ。小説の中でも書いてるように、絵だの宝石だの風景だの花だの、何処にでも恋の相手は転がっていると言う考えを持っている。

そこで、対象が人間でも人間じゃなくても通用する描写で、なおかつ「恋」とか「愛」とか直接言わない歌詞を書いた。

最初は、ネタが無くなったから「恋」とか「愛」とかの単語を解禁しようかと思ったが、自分の言葉から「恋」だの「愛」だの言う単語が出て来る歌詞を唱えてみたら、口が腐りそうだったので、

別の言葉に言い換えた。他人の曲とかだったら、普通に「こい」とか「あい」とか単語として歌えるんですけど、自分の言葉だと、「気でも狂った?」って思ってしまう。

俺の「こい」「あい」に対する偏見と言うか、蔑視と言うかがあって、「あい」だの「こい」って言う言葉に美しさを見いだせないのな。

もっと正確に書くと、一般の世の中では「あい」や「こい」って言う表現を、気軽に煩悩を満足させられる消費物だと思ってる人が多いって言うことを知ってるわけだ。だから禁句にしていた。

他人の曲だと、先入観がないので、神様に唱えるような神聖な気持ちで歌えるんだけど、自分の曲で「恋だの愛」について唱えると、インプリンティングされた不気味さが思い出されて気持ち悪い。

世の中の一部の人間は、「愛の表現が入った歌を歌う奴は、目当ての異性でも居るんだろう」とか、「こいつは自分に気があってこう言う歌を歌っているんだろう」って勘違いする奴がいると言うのを、

この10年かけて学んできて、より一層、「あい」だの「こい」だのの単語は「自分の語彙ではない」って思うようになって来たんだ。

その2文字の単語を使わなくても、別の言葉で「愛情」を表現することは出来るので、そこは描写力でカバーすると。

なんかね、世の中の音楽消費者の、「愛と言う歌詞」への連想が安直すぎるんだよ。

どれだけ重い意味の込められた世界観の中で、血を吐くように「I Love You」って言う言葉を吐いている歌詞でも、世界観を理解しないで、単語しか聞いてない。

単語から連想する自分達の些末な煩悩と同じものしか想像できない。だから、僕は人間って言うのは自分の脳の中の世界しか理解できないんだっていつも思う。

曲の制作者がどれだけ語彙を振り絞って、声を操って、音像を表現しても、「愛」って言葉が出てきた途端、「煩悩を満足させるための消費物」だと一般の人の多くは思うんだよ。

だからこそ「一般人」って言うんだと思うけどね。

俺は長い間「言葉には『その人間の脳の中で限定された意味』がある」とか、「歌詞でさえ『一般人』には『脳の中の意味の言葉』に聞こえる」って言うのが理解できなくて、

僕が思ってたり考えてたりする「芸術に対する思想」や「哲学」や「畏敬」って言うのは、普通の人は持ってないんだって言うのに、長く気付かなかったんですよ。

一般の人は、ミュージシャン(バンドマン含む音楽家)を、アーティスト(芸術家)と呼んでも、本当に自分は「アート」に触れているって思ってないって言うね。

ミュージシャンを、芸術を作る人じゃなくて、ポテトチップスを作る人だと思ってる。安価に消費できる「欲を満たすもの」を作る人だと思ってるんだと言う事。

僕も、全部のミュージシャンがアーティストだとは思ってないけど、アーティストと呼んでも良いミュージシャンって言う人達は知ってるし、そう言う人達の作る歌や曲を聞いたり読んだり、

掘り下げて考えたり、逆に「腐ったこと言ってるなー」って思ったりしています。

でも、歌や曲と言う作品が、絵と同じで世界観があって、描写したい情景や心象があって、そこにそのアーティスト風の言葉の選択をすると「こう言う音や歌詞」になるのかと言う理解をしている。

むしろ、なんで「普通の一般人」は、音像とか、詞世界って言うものを含めて「歌詞」を理解しようとしないかが分からない。

どう言う世界で、どう言う状況で、どんな意味を込めて形作られた「言葉」なのかを理解できないって言うのは、歌を聞く上で非常に損をしていると思う。

はやり歌なんて、どれを聞いても同じだって言う人ほど、「自分の脳内の意味」でしか歌詞を聞いて無い。それは想像力の欠如であり、感覚が鈍麻している。脳の老いって言うものだ。

中には、「芸術脳」が未熟なまま子供時代を過ごし、ポテトチップスだと思って「アート」を消費して、自分の脳内の情報の範囲以外にも世界がある事も知らずに死んで行く人もいる。

想像力の欠如って言うのは、ひどく利己的で自分勝手だ。

そう言う想像力が無い人達は、別の人の考え方や「哲学」が理解できない。自分の脳の中の現象以外を想像できないからだ。

想像力の無い人達は、人間と言うのは誰しもが「同じ煩悩のレール」を走ると思っている。そしてそれを他人に押し着せてくる。自分が理解した脳内の世界が「当然」だと思ってるからだ。

自分とは違う価値観、違う感覚を持つ、「別人」を想像できないんだ。極端に言うと、そう言う想像力の無い人は「自分と同じ型以外の人間は存在しない」と思っている。

古い日本人にありがちな悪い癖だ。

僕も「みんな、自分と同じくらい『想像力』があって、僕の考えているような『思想』『哲学』『道徳』なんて、当たり前に持っているんだろう」って思ってた勘違い屋さんだ。

古い日本人にならないように気を付けよう。