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時々徒然

ペットとして育成されたゆとり妹の話

まず、俺の家庭環境を説明しよう。

俺は家族全員から、「誰かしらの迷惑なっている」と言われて育った。家にいる連中の「ストレスの捌け口」にされていた俺は、「とりあえず俺は迷惑らしい」と思っていた。

それと同時に、「だったら作らなきゃ良いのに」と思ってた。その事を素直に言うと、「そんな生意気なことが言えるのは作ってやったからだろ」とか母親が言い出す。

俺はまだその時反論できるだけの知識を整頓して話せなかったので黙っていたが、今、「疑問を持つ子供達」の代弁をする形でつづろう。

「子供が出来る」には幾つか条件がある。男女がつがいになって、子供を作る儀式をする。腹の中に赤ん坊が出来てから、出産までには10か月以上かかる。

その間に「堕胎しても良い期間」と言うのがあって、後々子供の存在が迷惑だと主張したくなるようなら、堕胎すれば良いじゃないか。

そもそも、「子供を作る儀式」をしようと決定したのは、夫婦なり恋人なりの男女であって、そいつらのイチャイチャしたい! って言う発情に関して、まだ細胞分裂もしていなかった俺に、

どのように責任を取れと? ホルモンに操られた末に「子供と言う迷惑な生き物を押し付けられた」と思うなら、それはお門違いだ。

母親は嫁いびりに遭っていて常にイライラしていたし、父親はどちらかと言うと自分の父母(俺祖父母)のご機嫌を取っておきたいお坊ちゃんだった。

お坊ちゃんの割に、暴力を発散することに素直で、子供を「小突いて泣かせて遊ぶもの」だと思っていた。だから、俺の兄貴は昔から「通りかかっただけ」で父親に小突かれていたと言う。

俺が生まれて、兄貴は「自分が小突いて泣かせて遊ぶ赤ちゃん」が手に入ったと思っていた。兄貴は俺に対して、小突いたり難癖付けたり、面倒なお手伝いを押し付けてきたり、好き勝手をしていた。

父親は、昔自分が小突いて遊んでいた子供なので、兄貴に対して引け目があるらしく、兄貴が俺の小遣いを巻き上げようとするのに俺が反対意思を示すと、

「兄ちゃんの言うことを聞け」と言い出す、中々脳天のぶっ飛んでいるイカレ野郎だった。

その父親は、もちろん俺を殴らなかったわけがない。しかも、小突くとかじゃなく、4歳児(俺)が吹き飛ぶくらいの力でぶん殴る。

度々ぶん殴られていたせいか、俺も慣れてどんどん無感情になって行った。だけど泣かないと父親が満足しないので、泣きまねを覚えた。

その後、妹が生まれた。母親は排泄の世話以外の妹の躾を俺に押し付けた。父親は「妹を守ってやれ」とか、良いお父さんぶったことを言い出し、俺に子供として遊ぶ期間なんて必要ないと言う。

母親は妹を溺愛しており、父親はようやく「子供を殴るのは悪いことだ」と言う道徳概念を持つようになって、妹は殴らなかった。

妹が病気にかかった。治らない病気ではないが、再発すると命はないかもしれない、この子供は20歳まで生きられないかも知れないと医者に洗脳され、母親は妹をペットとして育成した。

ペットが求めるのは餌であるが、妹は小遣いを欲しがった。母親は妹が小遣いを欲しがれば好きなときに小遣いを与え、おもちゃを欲しがればおもちゃを買い与えた。

妹が歩くのが遅いから集団登校についていけないと成ったら、母親は俺に「妹と一緒にみんなより早く学校に行け」と言い出し、実際、俺は妹と2人で登校させられた。

デリカシーだの品位だののあるはずのない山猿の集まりである田舎の小学生男子達は、「面白いネタを見つけた」と言わんばかりに、俺と妹をせせら笑っていた。

夏休みに妹が「眠たい。ラジオ体操なんて行きたくない」と言い出したら、母親は俺に「妹のラジオ体操カードを持って体操に行け」と言い出した。そして実行させた。ちびまる子ちゃんか。

ラジオ体操の現場では、妹のラジオ体操カードを持って行くことに対して、何故か俺が卑怯者呼ばわりされた。卑怯者達はそう言う事態も知らずに家で暢気に過ごしている。

そして時代はゆとり教育の期間に入り、妹は義務教育期間内の夏休みの宿題が無くなった。学校の勉強も「より子供向け」の簡単ものになった。

妹にとっては、夏休みが何もしなくても良い時間になった。これだけ手厚いワガママを許され、DQNにならないわけがないだろう。

「世の中は全部自分の思い通りになる。母親は絶対的に自分の味方」だと思った妹は、高校に入った後は勉強もせず、毎日テレビゲームをして過ごしていたらしい。

そこで、また母親が俺に「妹に勉強するように言え」と言い出した。俺は、字面の通りに「勉強しろ」とだけ言って、それ以上何も言わなかった。

妹は「自分は、この家(実家)の女王様」だと思うようになった。俺を誰も味方が居ない下僕だと思うようになり、何か勘違いしたらしく、俺の顔を見ると「したり顔」で笑うようになった。

だが、俺と兄貴が「普通に会話ができる間柄」であると言うことが分かると、妹の自信は激減した。一気に妹の表情が暗くなったのを見て、分かりやすい奴だと俺は思った。

その後の妹は、自分が「家を継がせるためにワガママを許されていた」と言う事実を知り、母親と共に、母親の祖父母が住んでいた空き家に逃げた。

その場所で、いささか気の狂っている母親と十数年間暮らしていたので、妹はオーバーリアクションが普通の感情表現だと思い込み、「気分が悪いことをアピールする演技」を覚えたらしい。

母親には妹が今でも「なんにもできないピュアなかわいい赤ちゃん」に見えるらしく、演技くさい「気分が悪いアピール」に、何も疑問を持っていない。

しかし、文句を言うようになった。「(妹は)扱いづらい女だ」と。俺以外から全く躾と言うものを施されずにペットとして育てられたのだから、お前(母親)の言う事を聞くはずがないだろう? と思う。