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時々徒然

四苦八苦

勤め先から帰ってきました。今日は時間の都合で、トレーニングは後回しにして作業をします。今日は集中して本を読むって言うのが久しぶりに出来て、面白い発見とかあったんですよ。

その後、四苦八苦していた時の音声トークの自分の声を聞いて、「この薄暗い声で話している人は誰?」って思った。俺だよ! って言うね。

脳って言うのは、インプットだけでもアウトプットだけでも辛くなるんですよ。ここしばらくは、インプットはYouTubeくらいで、文字を読む機会が無かったんですね。

その原因は、大体他の文字の書いてある本を勤め先のロッカーに置いてあって、家に興味のある本が無かったって言う事態になってたので。

偉人の名言集とかは家に置いてあるんですけど、短文だし文節がどうとか考える型の本じゃなかったので、楽しくないんですよ。

そして今日久しぶりに読んだ、ミヒャエル・エンデの「モモ」が、すげぇ面白いと。ミヒャエル・エンデは「果てしない物語」が有名ですけど、「モモ」もお勧めです。

道路掃除夫のベッポ? か、ボッペ? か忘れてたんですけど、その人の「目に見えないものを見る」って言う哲学が何か分かるようになってきた。

その他に、詩集を2冊読みました。1冊は写真多めで読みやす系の。もう一冊は、約80年前に書かれた、ちょっと明治文学の名残がある文体の。

最初は、「語彙を増やす事」と「他の人はどんな詩を書いているのか」って言うのが知りたかったんですけど、そう言う邪念? 打算? を無しで読むと、その世界に入れましたね。

色んな世の中のどす黒いものや、この10年くらいで芽生えてしまった批判的な概念をとりあえず忘れ去って、無心に文章の中の世界に入るって言うのが出来た。

そう言う、浄化作用って必要ですね。想像力が必要な世界で作品を提示しているのに、自分に「提示している以上の想像力」が無かったらどうにもならんのです。

SNSとか発達してなかった時代に生きていたので、絵を描くとか小説を書くとかはあくまで趣味で、発表の場って言うと、イベントくらいしかなかったんですよ。

自分で本を作るなんて言うのは、世間に認められた一流の作家さんが「オファーをもらって書き下ろす」物だと思ってて、今みたいに単行本できちんとした形を持った小説を一般人が作るとかは、

「金を持ってる人の無駄遣い」だと思ってたし、そう思うように躾けられてました。あんなもんじゃ食って行けねぇ、もっとまともな事をしろって。

大人になったら、「食うための仕事」以外はしてはいけないと。食うための仕事をして、結婚して、子供を作って、子孫繁栄に努めろと。

直接は言って来ないけど、「家が一代で絶えるなんて恥だ」とか、暗に「家を継げ」的なことを言われてて、僕はそれを全部スルーしました。

僕の家は農家だったので、主に「農業をする事」が食っていくための仕事だと思われてて、僕はそう言う生き方に意義を見出せなかったんですよね。

生産業以外の事は、ヤクザなことだと思われていて、人の道に反すると。不真面目な子供だったので、そう言う「農家の大人としての生き方の教訓」みたいなのは聞き流してました。

土地や家にも興味が無いし、そもそも農業は嫌いだし、自分の世話以外は見たくない人だし。

色々な面倒と試練を乗り越えて、今は徒歩とバスとタクシーで移動できる範囲内に食料と仕事の得られる環境を手に入れて、こうしてパソコンで徒然なるままにを綴れるわけですが。

作家業はライフワークだと思ってるし、邪魔する奴は誰も居ないし、確かに在庫を置いておける場所があれば本を作るのも悪くないと思ってます。

その時は、ちゃんとした単行本が作りたいですね。懐かしの連載小説第一部(ピクシブにアップしてるのは第二部)を、描写を増やして本に…とか考えないわけじゃないし。

30冊くらいなら置いておけるかな…。印刷所とか探したい。